■はじめに
少し前、検事総長の定年延長問題が世を騒がせていました。決着は、解釈変更という、法治国家として大丈夫なの?と疑問符が付くものでしたが、内閣の主張は、「国家公務員の定年延長に合わせる」というものでした。
定年延長・継続雇用について、官民問わず法整備は整いました※。各組織では、雇用者として着々とその準備が進んで…いるでしょうか?定年延長・継続雇用は、賃金制度や高齢労働者の働き方・配置等、現行制度に大きなインパクトをもたらすものです。
※6/19日追記:18日、国家公務員の定年延長関連法案は廃案、次国会に再提出となりました。
一方の働き手の皆さんは如何でしょうか。自身の人生後半戦を如何に生くべきか、その準備は出来ているでしょうか。
■2つの選択肢
労働力不足を補うため、また、年金支給年齢の引き上げを背景に、定年延長が動き出しています。65歳までの定年延長、または雇用継続、そして、働き手が望む場合は70歳まで働ける環境整備の努力義務化へと、経過措置を設けながらの変革が始まっていなければなりません(後掲、高齢者雇用安定法ハンドブック参照)。 もし、現状のまま働き続けるとしたら、俸給生活者が、「第二の人生」を始める時期は遅れていくことになります。
それで良いのか、働き手自身が自問する時期です。民間企業では、役職定年が概ね50歳代半ばであることを考えると、先を見据えて布石を打つのに、50歳は早すぎることはありません。

とりうる選択肢は大きく2つ。
②定年延長・継続雇用を利用し、同じ組織で働き続ける
①の場合、第二の活躍の場を切り拓く必要があります。すべては自己責任であり、成功する保証はありません。②の場合よりも悪くなることも十分考えられます。すると、今まで働いてきた場所で、ある程度の予測のたつ制度の中で生活する(②)選択の方が、合理的です。
しかし、合理性は、人生を選択する際の至上の価値基準でしょうか。
合理性とは、「2つの要素が論理法則に則っていると推測される状態・度合い」にすぎません。合理性を基準に判断すると、行動から予測される結果が不確実な①よりも、確実な結果が予測できる②を選択することになるのは、当然です。
人生を選択する基準を何にするか、個々人が考えるべきことです。
②の場合、役職定年年齢から徐々に地位(責任&権限)と給与が減少していくのが一般的です。定年延長・雇用継続下では、これまでとは異なるモチベーター(モチベーションを上げる心的要因)を探す必要があります。
残念ながら、仕事への満足度は、①の選択より、②を選択した方が相対的に低い、というデータがあります。どのような仕事をするかによっても満足度は大きく異なります※。仕事に何を求めるでしょうか。職業人生の終わり方を考える際、留意するのは経済上の問題だけではありません。
※詳しくは、後掲、経済産業研究所(RIETI)ディスカッション・ペーパー参照
一方、雇用する側の現在は、年金受給年齢までの福祉的雇用としての性質がまだまだ強くあります。企業の側も、どのように扱うべきか模索している状態のようです。
やる気のない「年上の部下」が如何に扱いづらいか、骨身にしみている方も多いはずです。
もし、自分がそんな「年上の部下」になったとしたら?
誇りをもって働いてきた方は、私は決してそんな風にはならない、と思うでしょうか。
しかし、その誇り高さは、逆に、後進の邪魔をすることになるかもしれません。
のっているようでのり遅れているのが、時代の潮流です。「働き方」「社内での自分の役割」「ポジショニング」をよくよく考えないと、陰で「老害」呼ばわりされる危険が大きいのが②の選択肢です。
皆さんの周りに魅力的なご高齢の先輩はどれだけいらっしゃるでしょうか。そして、それは、どのような働き方をしている方でしょうか。周囲にモデルを探してみてください。案外、少ないことに愕然とするのではないでしょうか。働き手、雇用側含め、高齢者雇用の悩みは深いのです。
■50歳代からのキャリア:私生活を含め仕事を考える
キャリアという言葉は多義的ですが、「主に仕事を中心とした人生における役割の連鎖・総体」という定義が、今の時代にはしっくりくるように思います。
仕事と私生活を二分論(あれか、これか)的に把握するのではなく、相互に関連するものと捉えることを求めているのが、ワークライフバランスであり、ダイバーシティ&インクルージョンだからです。
とすると、キャリアを考える際に、自分や家族の私生活の要素も、仕事と同様に考慮する必要があることになります。
例えば、自分やパートナーの健康、老後の生活設計(どこで、誰と、いつまで、どのレベルの生活を維持するか)、生活を支える資産等といった私生活上の要素に加え、仕事上のwill(やりたいこと) can(できること) must(責務)、能力等、そして、外部環境予測です。
人生の後半では、私生活の要素が重くなるはずです。
キャリアとは、人生を総体として眺め、一応の方向性を定め、修正しながら形成していくものです。特に、人生100年時代といわれるこの時代、途中で立ち止まり、どのような仕事、働き方を選択するか、は以前よりも重要な課題となっています。50歳代におけるキャリアの再考が重要である所以です。
■最後に
樹々の緑が徐々に濃くなるこの季節、毎年、思い出す句があります。
葉となりて桜に永き夢のあと
もう20年近く経つでしょうか。夜半、ふと目覚め、眠れぬままにNHKラジオをつけると、年配の男性アナウンサーが、番組を降りる挨拶をしていました。体調を崩し、長年続いた番組をやめることになった、視聴者の皆さんと交流した時間は、夢のようであった、と柔らかな落ち着いた声で、淡々と挨拶をした後、この句を詠み、謝辞を述べ、あっさりと番組は終わりました。
一線を退く際に、自分の職業人生を、素直に「夢のよう」と思える心持ちを、私は素敵だと思います。
願わくば、いつか来し方を振り返り、自分と自分の働きぶりを肯定できる人生でありますように。
皆さんの人生も、そうであるよう願っています。
以上
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組織開発コンサルタント 後閑 徹